校長・教頭先生は孤独で悩みが深い

 私は夏休みを利用して全国の校長・教頭先生に会いに行きます。全国で仕事をコツコツとすると各地の管理職の先生と浅く浅く薄く繋がります。もう10年以上続けています。
 本稿では、うっすらとした校長先生・教頭先生全体の傾向で誰かを指した記事ではありません。この一言をいれなくてはいけないほど、「あるあるのお話」です。

うつの診断、投薬も多いように感じます

 心身の不調が多いようです。管理職は本来ラインケアとしての役割も求められています。
中間管理職で小さな権限しか与えられていない管理職。地方で校長会が委員会や議員さんと対等に取り組めている地域は権限があるほうですが、力は失いつつある気がします。
この仕事上での上下関係に挟まれる管理職の立ち位置は、近年特に人気がありません。
朝早くにカギを開けて、帰りは一番最後の仕事で10年を経て校長になれるかという世界があるからです。誰もなりたがらない管理職のポジションが示す通り、嫌われやすい面があります。
現場の教員が管理職にちょっと嫌味が言える程度がいい職場という考え方があります。でも、言われている方も人間です。イラッとして答えたことでさらに悪循環。わかってもらえないもどかしさからくる威圧的な態度。そして反感。さらに校長・教頭の人間関係は上下関係が厳しい。管理職同士の関係が悪いと大変であるのも事実です。
悩みを伝えられない教頭先生の実際のうつ状態は相当の方が該当すると推察できます。 

誰でも管理職の時代だから

 フットワークの軽さが一番楽なアピールポイントになります。「管理職は動くことができればいい」が蔓延しています。教育の成果はすぐにあらわれるものではありません。即時効果をアピールしようとすれば、動ける管理職をアピールしていくことになります。
着手最小、効果絶大を評価はあまりないのが教師の特徴。
ただ、現場の先生にとって、すぐに何かしてもらえることばかりを求めてしまう。ひっ迫した教育の現実です。その狭間に管理職はいます。

子供の将来を見通しているのか、手元のトラブルを解決する数が多ければいいのか。
バランスって難しいだろうなぁと管理職の先生を見ていて考えさせられます。
働きやすいようにと苦心されている管理職の先生もいることは、うっすらと覚えておくべきことです。
誰もがなりたがらない管理職だからこそ、ありがとうと思います。
ただ、給与もしっかりいただいております。が、おつきあいの経費は自腹です!
ここは民間企業の方がびっくりされるポイントです。

地域の情勢を知っているのも管理職

学校は地域のものという考え方が根付いていたので、学校の先生はわが町の知識層として尊敬されてきた面がありました。今自分が子勉強をしてきたかどうかは客観的に自分で判断してください。足りなければ、大学に通い直すのもひとつです。
管理職の先生は、地域の要請に応えることと学校の先生の実態のはざまで悩まれるものです。地域要請の防波堤になってくれている可能性があります。
地域も助けてくれて学校があります。お互い様。ありがとうの世界です。これが仕事なのか何なのか自分はわからなくなっている。

文句を言う教師は子供時代フリーランチを食べている。でもね。

 子供時代に地域に助けてもらっていても、実感がない教師がいます。実感がない人が教師になったときに初めてお世話になったありがたさよりも、「なぜ自分がしないといけないのか。」と相手に攻めつけるようになります。フリーランチを食べておきながら、人にフリーランチを提供するのを嫌がります。反抗期の子供の「この家に生まれてきたくて、生まれてきたわけではない。」と同じです。
現在は、親が抵抗のない教育が主流です。このため反抗期をもたない子供が教師になって初めて感じる反抗なのかもしれません。
これがダメとも思わない。

もう時代が違うのです。
「ただでもいらないものはいらない」、「押しつけられたものに対して、お返しは筋が違う」
ここが若い人の本音のようです。

私たちも興味もない無料講座や宿泊費負担の研修に強制受講させられる(教育委員会の研修のことではありませんよ)。「あなたのためです。」
これをありがたいと思いませんよね。
これと同義で考えると私は腑に落ちます。
させられている感、してあげている感がもう受け入れられない世の中なのです。
これからは、主体的な学習が世の流れです。教師が良質な先生、良書を見極めて、どんどん学ぶしかないですよね。
ただ、主体的とは自分勝手に見える雰囲気を含みます。校長・教頭先生にとっては頭を抱えることも増える原因になるでしょう。

一様な地域ではなくなりました。地域要請に応えるのは管理職の仕事に見える

この地域と学校全体で見ていくという古い仕組みがなくなりつつあるのも確かです。PTA問題のように地域も抱える余裕がなくなってくるほど世相は深刻です。
子供は自分たち教員だけで指導できるほど簡単ではない。だからPTAなど保護者、地域総がかりで面倒を見ていく。この部分が職業としての教師として果たさなければいけないことなのかというのが、昔から続く問題点です。古い仕組みを支持するわけでもないですが、誰が未来の子供たちを育てていくのかという原点に戻らないと他人のせいにして生きることになります。
この関係も管理職が抱えることになると、事情を知らない現場教員からみて変な管理職にうつるのでしょう。
管理職の抱えている意味が現場で浸透しない。もし浸透してしまうと、教師が授業、ごはんの指導、おそうじの指導、宿題の指導、生活面の指導の他に地域の学校にして欲しいことが加わり立ち行かなくなるからです。
管理職の先生は悩まれることでしょう。

悩みを断ち切る一筋の光は滅私奉公になりがち

 一生懸命みが潰れるほど滅私奉公すれば、迷いも薄まることでしょう。滅私奉公が不眠で投薬で心の安寧を保ちながらまで求められているのが現在の管理職です。
教員は、保護者からの悩みなどを管理職に伝えて気持ちを軽くしていきましょう。聞いてくれないなら文書で記録を控えておくことです。あとで問題が大きくなることは防ぎましょう。
どうして助けてくれないのだろう。助言がないのだろうと嫌な気持ちになることは、私もあります。
ただ、管理職の先生はその難しい話も抱えて日々を過ごすことになります。
管理職の先生に伝えておいたほうがいいと思うことは伝える。
反面、校長・教頭先生を批判することはやめようと私は思います。
個々の事情はおありでしょうが、他人のあらを探して責めない、他人の人格に関わるほどの噂話はあなたの将来を決定します。

下手な占いよりあたる。あなたの言動はあなたの将来を暗示します。

他人の粗探しをしてしまう教師の将来
他人の粗探しが上手になっても、何もできないみじめな自分になります。
目の前の子供の将来を案じて、自ら学んでいく教師の将来
自分を高め子供に寄り添うことに力を向け続けるとたくさん得られるものがあります。

みじめな価値のない自分になりたいのか
自らを高めていく人間になるのかは、今どういう言動を取るかにかかっていると思います。