主体的で対話を教員がするために

自己対話が苦手な教員

学校現場では新学期が始まりました。この時期になると、急にアクセスが増えるくだらないサイトを運営してしまっていることに反省をしています。段取りよく仕事をしなさい!読者のみなさん。
そして、もっと深いところに来てください。一緒にがんばろう!
 欲望は認める。まず、教員はここを取り繕います。規範となる仕事だから?
もうただの社畜扱いなのに未だに聖人君子を教員に望むのは無理です。
自分の動物としての欲望を認める。それを実行するかどうかは倫理観といえるでしょう。
欲望を認めた上で、
本当に自分が一番楽しいことは何でしょうか?

絶対に、職員室で無駄話をしている瞬間ではないはずです。

職員室での雑談は、10番目ぐらいに楽しいかもしれません(笑)

自分が一番したいこと(楽しいこと)は何?

私は教育実践を行うことです。それを文章化することに時間を捧げています。

自分が一番楽しいことをして壁にぶつかる 

教育実践をまとめる時間が足りない。広告宣伝に躊躇する。印税以外で許可を受けているわけですから堂々と本を宣伝すればいい。
そう思うときもあります。しかし、本を売ることが目的なのではなく、教育実践を広く伝え同士を増やしたいことが目的なのです。手にとってさえもらえれば本の魅力が伝わる!仲間が増えるはず!
読者の方も増えましたが、それでも自分の宣伝が足りなくてもうひとつ歩み寄れていない。そんな気がします。

自分を捨てる力

こうなると、「私がすべきことなのか」これを自問するようになりました。
専門分野について、いちいち校内研修で何時間も受けるべきか・・・。協調性としては研修参加します。しかし、万単位の時間をかけて身につけた専門をもっているのに、同じ分野の研修を受けたとしても辛いものがあります。ある意味誤解されても、研修参加を避けるべきなのでしょう。折り合いが大切ですね。
初任者がすることをベテランの人がする。
必要以上に手伝う。
これも捨てなければいけない考えです。

教師である自分、自分とは何なのか?

私は、新しい価値を教育現場につけて創造的な発展や付加価値を提供する教員になっていると思います。
いつか学校教員という枠も持ちながら、楽しい教育という外部発信も!
そういった、教育の楽しさを伝道する自分でありたいと思います。

他人にどう思われようとも、自分が何なのかを追求して発信できるといいなぁと思います。