大学の世界では、分野が異なると別世界が広がる

 教育学、心理学、社会学、理科といった専門性を横断して生きている華丸です。分野が変わると、その分野特有のルールや人間性の特徴を感じます。分野は細分化されていて、特定の分野を指してもさらに細かく見ていくと話が異なってきます。
明らかに不合理に見えても、研究分野での長い歴史の上での誤学習が続き、研究と関係のないその不便さで若い研究者の首を絞めています。しかし、誤学習と切り捨てるだけでは済まない事情もあります。この記事では、臨床教育と臨床心理の狭間に生きる華丸の私見を書くことにします。臨床教育学としての臨床教育ではありません。臨床心理学としての臨床心理の話でもありません。それぞれの学問は細分化しており、「これだ」という意見を書くことは到底不可能です。
この記事は、なんとなく大雑把な業界の雰囲気を、私のフィーリングで書いた感想文です。よって批判は受け付けません。引用もご遠慮ください。ご自身の考えはご自身で書くのが感想文です。

臨床教育が仏である理由

意図があれば教育。学びたい研修があれば、無料もしくは、非常に安価に学ぶことができる。十分に無料に近く学んで仕事に還元でき、それが子供への指導へ惜しみなく還元されていく。そして、学ぶごとに自分も成長していく。
最高の仏の環境です。

目の前の石ころすら、教育者が学んでいけば教育になる。

石に興味を持つ小学生は、多少なりともいます。
そこに、石に興味を持って学んだ教員がいれば素晴らしい学びの化学変化が起きます!
メンターとしても小学生の救いになることでしょう。
石の特徴について意図をもって分類や希少性について語ることができる教員がいれば、その子供の知的好奇心を満たすことができるのです。

指導範囲が広すぎるブルーオーシャンだから、仏でいられる教育

指導範囲はこの世の中の全て!興味のある分野を好きなだけ選び放題なのが教育です。
このため価値を測るものさしはありません。ブルーオーシャンです。しかし、価値を測るものさし(例えばKPI)がないために、何も学んできていない教師もニコニコ仏顔であれば、許されるのが教員。
世の中に測れるものばかりではない!
こう言って回れば、仏でいられます。

悲しいお知らせ。仏頂面教師は教育現場にいられない

 世知辛い昨今では、ニチャアっとした教師が楽をして生きていける。私は、このニチャアっとしたという表現が嫌いです。笑い方に何か音付けされているようで苦手。ニコッと笑えないシニカルでもない何か相手にもやもやさせる笑い方。
最近は、このニチャアっとした顔に気づくようになりました。
しかし、それでも笑わない教師より笑う教師の方がいい。
さて、悲しいお知らせがあります。
「真面目に考えて仏頂面する教師のアンケート最悪。」が起きてきます。
つまり、労働としての教師を目指すのであれば、ニコニコ顔(二チャア顔)で当たり障りなく教科書だけを教えるのが正解です。なぜなら、教科書を超えてくると、どうしても乗りこえるべき壁が増えるからです。ニコニコしながら真面目に考えてがんばる先生であってもいいし、真面目に考えて仏頂面である先生でいってもいいはずです。
心持ちにしても、労働として教師をするのか、教師として生きるのかで変わるとよく言われていたものです。
アンケート評価は、参考に頑張るしかないのですが、サービス精神をどこまでも教育に求めるあまり、時間のかかる成果を教員はあげにくくなっています。
「この子供には時間をかけてこういった教具を作ってあげよう」という個別に何かをすることが物理的に不可能になりつつあります。
しかし、要領よく乗り越えることも、不器用でも前進する生き方も、教師は選びやすいといえる仕事です。不器用であっても、お財布を気にしなくても時間をかければ、自分の思いを叶えることができるからです。
その意味では、教育は仏です。
私は、そこを理解しているので、子供とも保護者とも楽しく教育業をする夢が叶っています。

心理の世界は、鬼です(勝手な思い込みです)

 心理の世界は、認められるようになってから日が浅いため整備が遅れています。教育が人類が誕生したときからの営みであったことに対して、心理学を学問として捉える流れは日が短く発展過程にあります。そのために仕事に対する待遇が最悪です。専業主夫・主婦のアルバイトの賃金にまでダンピングされています。レッドオーシャンです。改善の努力を業界はしているものの教育業ほどのスピード感はないです。

権力者の意見や意図も無視できない

 サイコロジー(心理学)はサイコロの目のように変わると言われます。クライエントの心の様相も変わるでしょう。また、分野の権威の方の意見も無視はできない。
論文による信憑性が担保されていない臨床心理の技法も混在していて、必ずしも効果があるとはいえないものが混ざる。そのようなときに、活躍するのが権力者の存在です。答えがないものだから、権威のある人の意見に乗っかるのは人としてありうることです。私も、答えのない世界に入り込めば、救いを求めるでしょう。長い目で見ないと分からないことも心理の世界では多いものです。そうなると、研修して勉強して期待に応えたい方法を模索するのが人間というものです。

月収15万円の人が旅費5万をかけて10万円の2日講座に出る世界が心理

病院勤務の正規臨床心理士だって15万円からの世界。仮に月収15万円の人が旅費5万円をかけて10万円の講座に出れば1ヶ月分の給与が吹っ飛びます。それどころか手取りで考えると1ヶ月以上の講習費用を払うことになります。これは、真面目な臨床心理士が陥りやすい状態です。
いくら学んでも、小学校教師のように順調に昇給とはならないでしょう。つまり給与のあがりの幅が違いすぎます。生きていくには、少し厳しいぐらいの待遇が臨床心理の置かれている立場です。
頑張って学ぶことは大切ですが、ご自身の将来の蓄えができないほど突き詰めると生きていけなくなる。そこには気づいた方がいい。大学の非常勤講師で生活を支える方の生活苦と似通っています。
一方で、小学校教師に地域差があるとはいえ、悪くはない給与と待遇です。

臨床心理の場合はケースにもよるでしょうが、10万円の講習費の半分程度は心理の専門家に渡るとみます。ひどい場合には会場費を除く全額ポケットに入れます。
様々な認定協会でよくあることは、更新講習は義務、更新期間は短いように感じます。開催場所と開催数も少なく、近場に会場がない。それゆえに5万円の旅費を追加支出させる世界。これは意図しているわけではない。会場のおさえや講師さんの相場を考えると当然である。いくらでも言えるでしょう。実際そうなのでしょう。
オンライン講習なら費用もただ、買い切りの講習なら1回分の講師謝礼であとは何度でも流せますから講習費も時間が経つにつれて下がり続けるはずです。研修の基本は費用の軽減を志向しているかどうかです。心ある先生方は、声をあげています。改善が進むことを期待します。
 心理学の研修が信用されないのは、この高額を支払わざるを得ないシステムにあります。クライエントから報酬を受けるときにも、悪いことを考えると引き延ばす人だっているでしょう。いないと信じたいのですが、生きていくための臨床心理の側面もあります。学会費や研修費の捻出に涙ぐましい努力をしている人がいる一方で、研究費で支出されて、講師を務めて講師謝礼をうけとる上層幹部もいます。でも、仕組みとしてはおかしいものではありません。それは、規則や規定で定められていたとしてもマニュアルでどうにかなる問題ではありません。みんな生きているのです。よりよく生きたいのです。

 研修会費の値段の高さは、心理業界の改善には繋がりません。皆が高めの学会費などを支払っているのですから、その費用の中から待遇改善を世に伝えていくべきなのです。
ただ、運営されている方、携わっている方の努力や苦労などを勘案すると「よりよくなるように頑張って!」とエールをおくりたいと思います。つまり、発展の途上なのです。大事なことは、その発展の途上に巻き込まれないこと。人生設計を持って生きろ!ということです。

臨床心理の研修システムは高額な支払いが生活に甚大な影響を与える

学ぶことで救いがあると価値が感じらるという前提がある。高額の研修を受けることに価値を感じるというおかしさがあります。民間企業でも高額の研修費にしているのは値段が高いものほど効果が高くなると思い込む部分を狙っている面があります。
ただ、高額の研修費を支払うのも、その人の意思です。心に値段がないものですから、価値づけられたかどうかとその人の財力という客観的ではない指標で金額が甚大なほど出て行きます。
臨床心理が悪いのではなく、制度設計において、そういった一面はあります。
ただ、職業として仕事としての臨床心理にこのような仕組みを持ち込まれ、貧しさの中で生きる若い臨床心理士の方を見るとやるせなくなります。世間知らずの若い臨床心理士先生を見ていると、「生きていけなくなるよ・・・」と思います。
価値観はそれぞれでしょうが、あなたが幸せになることが、まず大事です。

学校現場にはそのような悲観はありません。仏の研修システムです

学校現場の研修の場合、費用などかかりません。せいぜい会場費や実費です。免許更新講習に至っては数万円とせいぜい旅費ですみます。これも10年に1回ほどで、心理の世界と比べてのんびりしたものです。もちろん、高額費用や謎の学校の先生が作り出した・・学会、・・研究会などではお布施しステムが導入されています。ただ、ベースになる研修は教育委員会や国や大学で無料または安価で受けることができます。私は教員免許更新講習の3万円すら高いと思っています。反面、このレベルで3万円で受けれるなんて安い!と思う講義もあることも確かです。費用が高いほど価値があるとならない秘訣は、研修予算を決めることです。無料かやすい費用で受けることができる研修。
それだけでも十分に仕事ができること。これが臨床心理士の世界にはありません。
学びたい人が安価に学び、講習ポイントも無料で楽々集めることができれば、私にとって仏の世界。


小学校教師の苦労は世間に伝わりやすい

臨床心理士のみなさんのほうが窮状のさなかと感じる反面、小学校教師の窮状はメディアなどで社会を駆け巡ります。みんなが一生懸命、学校も子供もいい形で存続させる形を模索する。
だから、研修費用が安くなり待遇の改善の指針が出てきます。
私は、小学校の現場で働けることを幸せに思います。仕事が?だと思う人も!と思う人も、生活の不安なく働くことができる。変わると嬉しいこともあります。でも、日々感謝の仏の世界の環境は学校にあり、よりよくなってほしいと思います。