Twitterの投稿より

ふっちょさんのツイッターにて以下の投稿がありました。
 
通知表を渡す段階になって、教員の暴走が始まった

「クラス全員に一人ずつ手紙を書く」「学級の思い出のDVDを作る」「撮りためた写真で一人ずつの思い出アルバムを作る」

その中で通知表を入れた自分に同僚が

「子供を大切にしていたら、自分にできることを精一杯するはずなんだけどね、寂しいね」
引用終わり

昔は、教員の暴走なんて思いもよらなかった理由

 昔は、地域に骨を埋めるぐらいの滅私奉公を求められていたのが小学校教員の世界でした。
私の経験した職場の話ではありませんが、各市町村の情報を総合してフェイクし書ける範囲に留めておくと以下の例がありました。

例えば、地域行事は絶対参加。絶対というのは、参加しないと職場での居場所がなくなるという同調圧です。勤務時間後に地域の児童館で何時間も教えに行く。お休みの日は、何らかのデモに参加する。その代わりに飲み会がつく。飲み会さえ開けば、労をねぎらったことになりそれでオッケーのノリが状態化していました。
教育を安売りせざるを得ない若者には、厳しい背景がありました。
教員になれない時代が長く続いていました。なるためには滅私奉公、何でもする人しか採用されませんでした。安売りですね。私は、この滅私奉公する安売り教育を教育ダンピングと名付けています。
教員の労働資源を教育業以外、勤務時間外に実質強制する流れです。
ちなみに、私は若い頃は似た事例があっても当然のことと思っていました。

教育ダンピング(安売り)は結局全員の首をしめる

 ふっちょさんの衝撃の部分は、周りの先生から言われたという
「子供を大切にしていたら、自分にできることを精一杯するはずなんだけどね、寂しいね」
です。「私のことはほっておいてください」とは言えないでしょうね。
周りも同調圧の眼差しで非難しているように見てくる(ように感じる)。
私もこの状況が職員室で起きれば、黙視してしまうでしょう。どちらを批判するつもりもなく、成り行きを見守るでしょうね。

教育ダンピングが起きるからくり教師は手段が目的化してしまう

 教師修行とよく呼ばれます。教師の立場から清掃指導を考えてみましょう
極端な事例で、ツッコミどころ満載ですがお読みください。
まず、清掃を全員が一生懸命することを求めます。不公平感をうまないためです。
ここは何となくわかります。
次に清掃を一生懸命するの指導から、教師はエスカレートして「黙して清掃に取り組む。」を目標に掲げます。集中して掃除をする。禅寺の掃除も修行のうちのイメージでしょうか。
最後に、掃除を徹底するがエスカレートします。「素手でトイレの便器を洗う。」
もう見た目にも子どもに強制させる姿にせよ地獄です。
子どもに「清掃はいいこと=だから公衆衛生を無視した幼稚な素手掃除」が当然のようにまかり通る。
素手でトイレ掃除をさせる先生は熱心であることが多いですから(指導の行き過ぎの着地点のようなもの=十二分に子どものことに干渉できる人)、周りの先生も臆して言えるはずがありません。
強制していく教育がここに極まるのです。
パワーを持っている教師はこのパターンがあります。パワーをもちたいなら、掃除を徹底すれば周りの先生にマウンティングできます。私は全然おすすめしません。

では、掃除について、このような考え方はどうでしょうか。
自ら進んで子ども達は掃除をしなくてはいけない。一見問題がなさそうですね。
ここにも危険があります。「掃除をしなくてはいけない」=まずは自分が一生懸命清掃する!に変化する。悪くなさそうに見えますね。
教師が率先して掃除をする必要がある。
本来は、業務時間内、かつ清掃時間内に掃除を仕上げることが大切です。
ところが、掃除が目的になっている教師は、ひたすら掃除を行いマウンティングを取ります。
忙しい先生方にとっては、掃除で指摘されると言い返せませんから、同じ行動を取るか従うかを迫られてきます。
これ以外の行動を取ると言い返せない感じで暗に批判されるでしょう。
周りに自分が上位の人間だと錯覚させることができます。
こうして「教室をきれいに保つという目的から、掃除をいつも行わなくてはいけない。そのために、本来の業務や勤務時間を違反してでも掃除をする。」という、業務や勤務時間を違反してでも自分が熱心に教育に取り組んでいることが目的にすり替わったことにすら気がつかないのです。
教師修行ですよね。自分がまず勤務時間外もまじめに掃除していく。
否定しているのではなく、「子どもに指導をしているのではなく、教師という自分が修行をしているのであって、子どもを伸ばす教育が目的ではなくなる。」可能性に気がついていますか?
周りの教員も、これに同調しなくては熱心な先生ではないとみなされるでしょう。教育の安売り、教育ダンピングといえます。

教育ダンピングには乗りませんが、手間ひまをかけて、よいところどりをしましょう。

ただし、私はこれを見越した上で、この熱心な教員の教師修行のよさと子どもへの指導のいいところどりをします。
自分は、清掃時間は丸つけは極力せず一緒に時間内は掃除をします。子どもにも掃除時間内は掃除と割り切って掃除をする。サボったときは次に気を付けるよう指導をします。
教師修行の黙って徹底的に掃除という一律指導より指導の手間が増える方法ですが、子どもに理由を聞いてひとつずつ解決する方法をとります。
徹底清掃の機会は、学年末の大掃除でもできますよ!

教育ダンピングは教師自身の首を締めていく

 この教育ダンピングは、管理職の先生たちによく見られる傾向です。彼らは滅私奉公し続けて校長、教頭の地位を得ていきます。人より頑張ると時には時間度外視で働いてしまうものです。地域行事の参加、理不尽な要求に耐える。清掃指導なんて、熱心な管理職の先生なら率先して掃除をすることで好印象を得たことでしょう。
 彼らの会合は、経費で落ちません。自費で会合のお金を支払い続けます。地域でコンプライアンス違反のお金を支払うことも多々あるはずです。きれいに生きようと思うと上にはあがりにくいものです。どの組織でも気がつかないフリができるのも大切なこともあるのでしょう。
つまり管理職で本来得られるべき報酬が「名誉職」の名の下にどんどん自腹を切らされるのです(支払いが増える=付き合いが増えるともいいます)。
極めつきは定年延長です。校長職につける期間は短いことが多いものです。
人間ですから、定年後も権力を保持したいでしょう。管理職とはそういった人でないとそもそも受験しないでしょう。管理職から美談や綺麗事はたくさん聞きます。いつも思うのは、管理職にならずとも指導している目の前の子どもに指導できることは宇宙の果てほどあるのに、あえて教員の管理、学校運営(しかも、中間管理職のため裁量が少ない)に就くのだから、それはそれで堂々と言えばいいのに・・・と思います。管理職の嗜みとして表では美談仕立てにする必要もあるのでしょう。

さて、この定年延長になると現役時の給与の半分になります。新任教員に近い給与で校長職に就く場合も多いものです。総人件費で見ると、管理職の給与が半減します。経営面で見れば、退職管理職を残しておくことの経営的メリットは甚大です。つまり、給与半減でも働きます!という管理職のために教育の安売りが維持されるのです。教育ダンピングとは恐ろしい。

管理職の自分の首をしめる教育ダンピングは後進の先生を大いに苦しめる

一番の問題は、市場原理に偏りすぎた行政の問題があります。
退職管理職が居座りつづけ、給与半額という教育ダンピングをする経験豊富な管理職。
かたや新人管理職で未経験、給与は2倍とる。
経営的にどちらを採用しますか?
間違いなく前者です。
こうなると、いつまで経っても後進の管理職の先生方のポストが空きません。

労働を市場に任せる(資本主義に任せる)とどうしても労働のダンピングがおきます。
昔は組合で守られていた(利権維持ともいわれましたが)ことが、今や守る力が弱まりお上の意思通りになっています。私は組合を支持するわけでも、お上を支持するのではなく、目の前の子どものために自分のできることをするのみです。

子どものために熱心にDVDを作り続けた先生は、労働時間も長いでしょう。長くかけた時間だけ、保護者ウケもよいでしょう。従って、教育ダンピングを取り続けるほど管理職になりやすく、この安売り構造は維持されていくことでしょう。

華丸からの教育ダンピングによる提案

さいしょのふっちょさんのつぶやきはこれからも教育現場でずっと起きるでしょう。改めて投稿を見てみます。
通知表を渡す段階になって、教員の暴走が始まった

「クラス全員に一人ずつ手紙を書く」「学級の思い出のDVDを作る」「撮りためた写真で一人ずつの思い出アルバムを作る」

その中で通知表を入れた自分に同僚が

「子供を大切にしていたら、自分にできることを精一杯するはずなんだけどね、寂しいね」
私は、全部取り組んだことがある実践です。今年も時間がありましたので取り組みました。
急に暇ができて、思いつきでこういった取り組みを強制しようとする教員に対しては、伝える場合もあります。
「思いつきで急に金銭や時間が膨大にかかることを言わない!」
すごく不満顔になるでしょう。

時間があるときなら、私は次のように対応します。
「1年の思い出のカードを作りましたので、学年分用意しておきました。よろしければ、使ってください。」
みなさんの個々の状況の中で関わりにくいと感じている人になら
「私は、・・・を作ろうと思って用意しました。今年は私はこの実践をするつもりです。印刷すればすぐ使えるのを先生方のお机の上におきました。またお時間があれば使われるか、来年度以降機会があれば使ってください。」

自分の身勝手や思い込みのエスカレートで、教育ダンピングしたくなることは私は、あります。
だからこそ、他の先生方への負担が最小限もしくは、負担にならないように自分が責任を持って用意をして配れば終わるまでダンドリをします。それができないなら、私は、この教師修行、手段の目的化はしません。
 
大切なことは、どの立場にいる人に対してもあまりきついことは言わないことです。
私も厳しいことを言うことがありますので自戒のための作文として本記事を作成しました。
登場する事例は全て虚構で関連する団体すべてフィクションであることをご理解ください。 
私は、毎日平和で楽しい教師ライフを過ごします。皆様もそうなりますように!