教員を辞めたい・ブラック労働だ・・・。
辞めることが脳裏に浮かんだときに、子ども時代の記憶を思い出すことも辞めるかどうかを決定する大事な要因になります。
また、イメージを作ることも大事です。
悪いイメージがあるときには、自分は子供たちにそのような思いをさせないとする新たなイメージを作り出すことも大切です。
理科が好きな私の場合は以下の話のイメージ。
教育実習生としての視点なのか教員としての視点なのかで意味は変わります。私たちは、何かを(夢・理科への関心など)子供達から引き出すことができる立場なのです。
それがあればきっと大丈夫。
いきなりそんな力はつきませんが、とどまり学ぶことで少しずつ力がついてきます。
子供の能力を引き出すことができないとなれば辞めることになっても、納得できるはず。
文句が減れば、新しい行き先がみえる。
そういう力がつくほうが生きていて楽しい。
その瞬間、他に誰も居ないはずの理科室に子どもたちの声が広がり耳の奥を震わせたような錯覚に陥った。
突然、自分の小学生の頃の記憶がセピア色の古い写真のように脳裏に甦った。
教育実習で5年生の理科の実験を担当する事になった私は、前日の放課後に準備をするために理科室にやって来た。
何年にも渡り実験や観察実習で使われた薬品やアルコールランプの香りがすっかり染み付いた理科室特有の空気は、どの学校でも同じものらしく、私に子どもの頃の記憶を呼び起こさせたようだった。
ふと、あの頃の理科の先生と、楽しかった実験の数々を思い出し、私は思わず笑みをこぼした。
フラスコや試験官が妙にかっこよく見えて、最先端のSF映画の登場人物になりきって実験に夢中になった。先生の白衣にも科学者の雰囲気が漂い憧れを抱いた。
私も、友人も、目を輝かせて理科室に足を運んでいた。
教員を目指して大学で教育について学ぶうちに、先生が学習指導要領で取り上げられている必須の実験を遥かに上回る実験をおこなってくれていたことが分かった。
リスクを取りながらの授業。
リスクをとる危険性を感じながら行っていた授業。
教育実習の現場でひとつひとつの基本的な実験ですらいかに危険性をはらんでいるのかという事も実感した。
先生は簡単に工夫を凝らした様々な実験を見せてくれたり、実際に私たちにも体験させてくれたりした。
自分にはまだ到底できない。
片づけがなかなか終わらず休み時間が少なくなるのも気にせずに、私たちは毎回の実験をとても楽しみにしていたあの頃。
時折先生が厳しく指導する場面も印象に残っていた。それも、今思えば教育実習でいざ実験に取り組むにあたり、児童の安全を第一に考えていたのだろう。
安全のためのルールを子どもが破ったことで注意を受けたことに気がついた。愛情に気がつくのが遅いのは昔から変わらないのだなと
自らの付き合いと重ねた。
愛情の深さは測るのが難しいと思うと同時に尊敬の思いにかられた。
明日の実験に向けて、私はひと通りの準備を終えると、ひとつ深呼吸をした。
鼻腔からあの薬品臭が流れ込み、体内を理科室の空気が巡り、少年時代の記憶と混ざった。
いつか感じた、わくわくした気分、高揚と興奮が身体中を駆け巡った。
「きっと、大丈夫。楽しんでできる。」
そう、先生に肩を叩かれたような気がして、
私はまたひとつ笑みを零して理科室を後にした。