教師のおやすみは海外でというバブルみたいなノリ

学校の先生あるある。グアムやサイパンで年末・年始を過ごしましたって話。
バブリーな先生方をよくお見かけします。
旅行先がハワイ!ということが少ないのは悲しい。
海外旅行に行くと空港ロビーで年配の方の群れ、特に女性の軍団に出会います。
まぁ、声の大きな人でお話の内容から教員だろうなぁと思われる人多いですね。
「お休みのないほど忙しい先生って新聞にでているのにどうしてなんだろう。」となりませんか?
これは学校の先生の立場により仕事の分担の差があるからです。
学校がブラックと言われて久しいですが、実態は仕事量や質に差があるという点は見逃せません。
「どうしてこれほど教員が旅行先に溢れているのかは、物理的に動けないほど忙しい人とそうではない人の差があるということも言えます。
息抜きに海外もいい方法です。親子で海外が幸せの象徴みたいなノリに今年が平成最後なのかと疑ってしまいます。大切な価値観ですが、もうこのバブルな価値観は年収300万円時代には合わない。

教師は本も読まない、勉強もしない

私が敬愛する森信三さんの著書にもよく書かれているご指摘です。
「教師は本を読まない。」
これは本当によくわかります。
読まれる本を見ていても、東野圭吾多いなぁ。東野圭吾さんは人気作家ですし面白い。
雑談のひとつとしては最高です。時間つぶしというか余暇の過ごし方で気があうなぁとはなります。
でも、「あっ、面白い本よんでますね。」とは、まずなりません。
私は、東野圭吾作品の作品構成について語ってくれるならすごく聞きたい(笑)。
学校の先生は、勉強を教えているのだから当然読書もされていて、勉強しているに違いないというドグマがあります。
このドグマによって、どうしても真実が隠されてしまっています。

自分は勉強している!って先生も要注意です。
教師が実は教科教育中心の勉強のレベルを延々と繰り返しているだけ。
つまり、延々とスライムを倒しているのではないか。という気がします。
この結果、社会から取り残されてしまっていると思います。

どうして教師は勉強ができないのか。しないのか。

原因は、勤務時間外の努力次第という問題です。
突き詰めれば、自分を磨く努力の姿勢の問題です。
これは、個人の自由な選択
労働者としての教師だと自覚するなら勤務時間外は遊ぶもよし!です。
ある程度社会に出て活動するという姿勢
あっ、わかった!教師としての矜持の姿勢の在り方です。
私はどちらの考えもありだと思います。これを折衷といいます。
教師は勉強と遊びのバランスがどちらかに偏っている気がします。
勉強のバランスも偏っているなぁ。遊びはご自由に!

折衷案あります

旅行も満たして、研究も行う。
この折衷案は、教育旅行です。研修旅行ともいわれますね。
この方法であれば、日中は研修を行い、夕方は旅行も兼ねることができます。
教員の研究大会?ではあまり見受けられませんが、今や大きめの学会で託児所は当たり前です。
お子さん連れでも、問題なし。
同じ職場の教員同士、同じ校種の教員同士から離れて、大学院レベルの学会、民間企業との連携と社会に出てみましょう。はじめは相手にされない時期を乗り越える教師に期待しています。

今日はお世話になっている大学の先生方の集会にお出かけします。

メールのやり取りで時間が過ぎていましたが、久しぶりの先生とお会いできる機会です。楽しみです。
刺激になるお話を聞いて、子供にどう還元しようか楽しみです。
教師の冬休みは短いですが、私はまだまだ仕事をしていきます!