指導書をディスる人達

教科書会社の参考書を複数読めば、一番最良の教材研究となります。教材研究と実践は違います。というオチの記事です。

 指導書をディスる人がいます。屁理屈と事実に分けて考えてみましょう。
最後に教科書が最高の参考書である理由。

教科書執筆者は、教育学部の大学教員は現場教員出身者も多く、現役で現場の先生も執筆している。

まずは、教科書会社は教科書の作成に一定の品質を求められます。文部科学省による検定です。外部評価です。
修正箇所が生じれば、すぐさま変えていきます。そして研究編や指導書には現場の先生も含めて大学の知見を取り混ぜながら、作成されていきます。
現場の先生の力と大学の力そして文部科学省の質の担保
さらに、補強するために指導書があります。
今日の傾向もしっかり捉えられています。
例えば、国語ではアウトプットに重点が置かれています。
今更、昔風の読み取りばかりではなく、教材の学びをどのように表現するかに重点が置かれています。
ポスターセッションのこともあります。プレゼンテーションソフトによる表現であることもあります。
社会に出て研究や仕事にそのまま役立つ技能が磨かれていきます。

指導書より私のサークル(研究会)が優れているという屁理屈

 先生方の中には、自分のサークルが全てで後はおかしいと言い切る人もいます。指導要領を超えて指導することもあります。このアレンジは悪くはないのですが、優れているといえるのでしょうか。
そもそも、教科書会社の指導書をディスることで自分たちが格上のように感じているのであれば、寂しい。教科書会社の作成のプロセスがなかったかのように、自分たちの実践こそが至高!と言いふらせば、若い方は間違うこともあるでしょう。なぜ教科書会社の指導書こそが最高の参考書といえるのか。
それを知るには、私たち教員の授業準備を考えるとわかります。

教員の授業研究の方法の一例

 私たち教師は、教材研究をするためにどのような経路を取るのでしょうか。

通常の授業準備

 教科書を読んで、自分で問題を解いたり、音読したりして教材の雰囲気をつかみます。続いて、1時間で何を指導したいかを明確にします。例えば2桁の繰り下がりの引き算であれば、10のくらいと1のくらいを意識させて借りてくるときを金種(お金)などの身近な例を出して指導すれば繰り下がりのイメージが伝わるのではないかと仮説を立てます。
そうすると、めあては2桁の繰り下がりの引き算のしかた(を考えよう)などになってきます。
子供が予想しそうな考えを板書計画に落とし込みながら、時間配分を考えて完成です。

私たちのサークルのやり方が最高!の授業準備

教祖の考え方がまずあります。理論(またはそれに似た言葉)と言い出す人もいますが、科学的な裏付けに乏しく理論とは言えません。理論とは、例えば二重盲検法などの手順で確認されたレベルまであることが望ましいでしょう。せいぜい実践研究という名前の作文や本の売れ行き、最悪なのが・・大学付属だから最高!と言い出すことです。・・先生が言っていたから。特に・・大学附属と言い出すと?となります。
・・先生の方法が、自分はマッチしたので試してみたい!という願望ならまだ理解します。
大きく現実の子供達とのギャップがあります。

・・先生最高が生まれる理由

サーカスのショーのように、突然子供達が講堂に机と椅子を並べられて知らないおじさん・おばさんの授業が行われる。周囲を誰か知らない先生に囲まれる状態。
それは、どんな子供でもお利口に授業を受けます。
これ、ただの催眠です(笑)。
スプーン曲げのマジックのレベルです。
高揚した雰囲気の中で、人のいいなりになる傾向がある人は無自覚(無意識というより無自覚)に力が入ってしまってスプーンが曲がります。それが本人は無自覚に力を入れていて力を入れたことにすら気がつかないほど催眠のスイッチが入っているので、マジシャンを信じる仕組みです。実際にスプーンが曲がる事実と無自覚のコンボでその言葉を発した人間を信用してしまいます。
まぁ、本当に超能力かもしれません。知らんけど(大阪風)。
同様の商売に、空きテナントにいきなりおじいさんおばあさんが大集合して、最初はお米や卵が手をあることや簡単なことでもらえて、最後に高額商品を買うあの手法です。信用や信頼ってこんな感じで簡単に作り出せます。
サーカスショーみたいな、いきなり他のところから先生がやってくる授業の事前準備に起きていること
サーカスショーに選ばれた学級の先生が必死に、「今度は・・・先生っていうすごい先生が来るから」これを子供に洗脳に近いまでに刷り込みます。
そりゃーうまくいきます。
ひどいのは、ショーの団員にされる子供達の同意も何もない。判断できる年齢ではない子供を催眠まがいに連れ出す。うーん難しい。
研究授業前も先生の異質な雰囲気が学級に影響を与えていることも多いものです。
複雑な思いも抱きながら、私は、こういった授業も大いに参考にします。一生懸命指導している先生って素敵ですし、自分もがんばりたいなぁって素直に思います。ただ、大先生を連れてきてどうこうというバイアスについては、冷静にみています。
だって催眠の最大の醍醐味は熱量でなんか「自分もできそう」「・・こそ最高って」テンションをあげるのに適しているから。
熱量をあげるツールと最高の参考書は違います。

10分研究さん

休み時間の10分で授業プランを立てる方もいます。職員室でおしゃべりの時間と生活時間を引くとこうなります。この場合は、指導書どころか、朱書きの教科書を読みながら授業をすることになります。大慌ての方法です。ところが、この方法でもまわるのは、教科書会社の指導手順や発問例が記されているから。ベテランさんならこれにアレンジを加えると子供の実態に合います。よく練られています。

教科書会社の指導書や研究編

 地方に住む先生やなかなか論文を読む時間もない教員にとっては、その手間を省いてくれる本が指導書や研究編です。しかし、この本でも科学的な裏付けがあるというよりは、事例程度の研究がもとになっているものがあります。また、何十年という教育実践をもつ先生方の結晶が指導の流れとして書かれています。教材研究面において、これほどの資金と多様な人間が注ぎ込まれているリソースは他にはありません。ですから、最高の参考書と言えます。

教科書をディスる人と噛み合わないのはここがわかっていないから

教科書をディスるサークルさんと噛み合わないのは、「参考書」と「実践の熱量」を混同しているからです。教科書をディスるサークルに入る方は、自分の勤務時間外をサークル活動に捧げます。みんなが旅行に行っているとき、遊び呆けている時間をサークルに捧げます。この時間をかければかけるほど、崇高な人として崇拝されます。修行ってやつですね。ちなみに公教育ですから、教員は労働者。仕事時間外は遊び呆けていいのです。聖職者としての教師ならば、禁欲的に学びを深める。これですよね。
ただし、自分のサークルの範囲内が中心になる。これでは、どうしてもサークルの考え方が主となります。科学性がないので、修行時間と勧誘力が全てになる世界。それ以外の教科書なんてディスらないと自分たちの信仰心が示せないです。
これは、教育サークルの仕組みの問題で教師個人の問題ではありません。団体に所属するとどうしてもこういった点を勘案して参加しないといけないという意味です。
私は、サークルの人の考えも大いに参考にします。サークルに入ってまで教育にかける熱量のある人は魅力的で大好きです。

結論

教科書会社の指導書(研究編)は最高の参考書。子供達の実態によって色付けは、教師である自分が頑張ること。
サークルは実践の熱量を頂けるありがたい場所だが、修行と勧誘、信仰心といったバイアスがかかっていることを考える。
そして、自分の冷静で澄んだ眼で子供をみて教科書の指導書とサークルを必要に応じて利用する。
何でも、一つだけ最高ということはありません。
清濁併せ吞みながら、そのときの子供に適した指導を考えることが私には合っている気がします。
目の前のあなたこそが、子供たちにとって最高の教師になりうる候補者の一人だ。
それだけは間違いがありません。