学校に子どもを縛りつける学校教育

長期休校が続きました。
授業時間数増加は仕方がない。
休日に授業も仕方がない。
学校行事もも全てしたい。
私も含めて、学校現場では学校の先生が思考停止している。

でもね。
もう1年の半分が過ぎました。
焦りを感じながらも、残り期間でできることを何でもしようと思っていました。
教員の仲間たちからも
コロナからの遅れを何がなんでも取り戻す
 そのような空気が漂ってきます。
高学年の時数不足は相当厳しく、相当確保する必要があります。
学習の遅れを考えれば、家でも数時間自習する子どもを育てなくては、解決しません。

テレワークで気づいた!1日中だと午後も同じパフォーマンスは出せません

大人であっても、午前中の集中力を午後も同様に出すことは難しい人が多いものです。
子どもは学校に通うという業から離れることは至難の技です。
大人は転職など環境調整ができます。
1人1人の個性をといいながら、6時間缶詰で子どもを学校に押し込める?
学校再開ではじめは学校が楽しいといっていても、体が疲れてくることでしょう。
心配になります。

今、私たち学校の人間がひょっとすると奪っている時間

放課後に草むらで虫を捕まえる時間
友だちと自転車でお出かけする時間
習い事に通って別の友だちと学ぶ時間
自分の興味のあることについて取り組む時間
家で静かにすごす時間
(保護者と子どもとの約束が前提です)

子どもの環境を守ることは、みんなの責任

教育委員会が悪いわけではありません。
学校現場も行政サービスとして頑張っていますという成果を見せなくてはいけない仕組みの問題です。
私たち教員も教えるのが仕事ですから、子どもの学習を何とかしてあげたい!と思います。
できれば、自分の手でできることをしてあげたいのです。
保護者も、学校で何とかなればいいかなぁという淡い希望を持ちます。
保護者の方も学習に取り組ませたり、息抜きさせたりと工夫されている姿に感謝しています。
変わらないことがあります。
時間は取り戻すことはできません。
私が今気になることがあります。
それは、「なければないでアレンジする」すら許せなくなっていること。
私なりのアレンジは、絶対に今後必要となる計算など積み上げの学習を十分に時間を取ること。
あとは第二波を予想しながら重要事項から指導する。これが私の正解だと思います。第二波が回避されれば、ていねいにそのほかを指導していく。小さい子どもに何時間も休日も奪って教えるイメージは今のところわきません。

あれば嬉しい。けれど、なければないで。今あるもので楽しむ感覚

 私が子どもに教えることは、何か用意してくれれば「ありがとう」。なければないで「ありがとう、あるもので楽しみます」という感覚です。
大人になったとき、全てが自分の思い通りになるわけではありません。
様々な捉え方ができる機会として、考え方の1つとして話はしていくつもりです。

行政、保護者、私たち教員に何かしてもらうことに期待して時間を空費するよりも
「今」を楽しみ、どんどん自分から学んでいく感覚を子どもに教えていこうと思います。

こう決心しても、やはり子どもを見ればつい教えたくなるものです。
冷静に状況を見て、指導できることは指導する。
このような心の天秤で揺れ動いています。