教師のバトンポジティブツイート50回で諦めた理由

 文部科学省の呼びかけで始まった教師のバトン。当初よりブラック労働や明らかなる違法、超過勤労働について訴える場となっていました。
そのような否定的なツイートでは、将来の若者によろしくないだろうという思いで呟いた教師のバトンのポジティブツイート、折り返し50回近辺で諦めることとしました。
継続は力なりを超えたこの理由は、ズバリ3つ
1.「これ個人の努力に依存しすぎでリスクに対する報酬(リワード)がない
家庭間のトラブルでも解決しても、給与に変化なし。
必ずしも管理職の評価や他の保護者の評価とは無関係。
リスクを負ったときに、私の場合は管理職が支えてくれた。しかし、リスクを負ってまで取り組もうとする教員に対してサポーティブかどうかはその地域の管理職や委員会などそのポジションの人の匙加減に依存している。

2.頑張ってみようという人を後押しするインセンティブがない
有休の付与、特別休暇の付与、資料収集のための外部図書館の活用許可、解決策の刊行の補助
教育実践として取り組むための時間や解決にかかった時間を有休・特別休暇などの形で労働時間に報いることなどシステム上で試す気概がない。
解決した場合でも、委員会側が真摯に学ぼうというよりも事務的な関わりになっている。
私の場合は、家族ケアのため平日は早く帰らざるをえない。土日の早朝5時から起きて仕事に取り組んで解決につなげたとしても、残るのは犠牲にした家族との時間である。

3.あなたの「自己満足」でしょと思われがちである
眼前の子どもに全力で取り組んでいても、システムとして努力に報いたり、成果を評価したりの努力がない。
このため、委員会や組織で「自己満足」であると捉える職場の雰囲気が醸成されている。
顕著なことは、教材研究の時間は、家や職員室ですると陰口を叩かれるというものである。
私の場合は、経験による指導、子どもに応じた授業構成の組み直し、子どもに応じた指導方略に時間がかかる。これは、経験があるからないからではなく、努力すればするほどブラック労働につながっている。

これらの3つの理由は、ポジティブにツイートしたとしても働く後方支援の少なさや、支える仕組みではなく、職場の人間関係(組合なども含める)に依存しているという背景が隠されている。

これに適応できれば、長く勤めやすい。何を諦めて、何を取ったかという隠喩でもあるが、そうならざるを得ない仕組みが学校現場にはある。

反面時間を捧げようとすると自分の家庭が崩壊するという帰結に陥る、後方支援を感じにくい環境がある。
これゆえに、
ひとさまの教育に力を注ぎすぎて、自分の家の教育は崩壊するというギャグ漫画の事態が多発する。

やはり、一般の会社と同じ労働に対しての法律遵守、教員として努力をしたときには、それと等価交換する(時間がかかったなら、それに対する休みを付与、お金がかかったなら税務申告などを認める)。この当たり前のことを制度として作り出す必要があるのではないだろうか。