華丸先生の連絡帳

学校の先生の生活を豊かに 学校現場をもっと元気に 楽しく平和な毎日を過ごすためのブログ

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カテゴリ: 教員の大学院入試対策

大学の世界では、分野が異なると別世界が広がる

 教育学、心理学、社会学、理科といった専門性を横断して生きている華丸です。分野が変わると、その分野特有のルールや人間性の特徴を感じます。分野は細分化されていて、特定の分野を指してもさらに細かく見ていくと話が異なってきます。
明らかに不合理に見えても、研究分野での長い歴史の上での誤学習が続き、研究と関係のないその不便さで若い研究者の首を絞めています。しかし、誤学習と切り捨てるだけでは済まない事情もあります。この記事では、臨床教育と臨床心理の狭間に生きる華丸の私見を書くことにします。臨床教育学としての臨床教育ではありません。臨床心理学としての臨床心理の話でもありません。それぞれの学問は細分化しており、「これだ」という意見を書くことは到底不可能です。
この記事は、なんとなく大雑把な業界の雰囲気を、私のフィーリングで書いた感想文です。よって批判は受け付けません。引用もご遠慮ください。ご自身の考えはご自身で書くのが感想文です。

臨床教育が仏である理由

意図があれば教育。学びたい研修があれば、無料もしくは、非常に安価に学ぶことができる。十分に無料に近く学んで仕事に還元でき、それが子供への指導へ惜しみなく還元されていく。そして、学ぶごとに自分も成長していく。
最高の仏の環境です。

目の前の石ころすら、教育者が学んでいけば教育になる。

石に興味を持つ小学生は、多少なりともいます。
そこに、石に興味を持って学んだ教員がいれば素晴らしい学びの化学変化が起きます!
メンターとしても小学生の救いになることでしょう。
石の特徴について意図をもって分類や希少性について語ることができる教員がいれば、その子供の知的好奇心を満たすことができるのです。

指導範囲が広すぎるブルーオーシャンだから、仏でいられる教育

指導範囲はこの世の中の全て!興味のある分野を好きなだけ選び放題なのが教育です。
このため価値を測るものさしはありません。ブルーオーシャンです。しかし、価値を測るものさし(例えばKPI)がないために、何も学んできていない教師もニコニコ仏顔であれば、許されるのが教員。
世の中に測れるものばかりではない!
こう言って回れば、仏でいられます。

悲しいお知らせ。仏頂面教師は教育現場にいられない

 世知辛い昨今では、ニチャアっとした教師が楽をして生きていける。私は、このニチャアっとしたという表現が嫌いです。笑い方に何か音付けされているようで苦手。ニコッと笑えないシニカルでもない何か相手にもやもやさせる笑い方。
最近は、このニチャアっとした顔に気づくようになりました。
しかし、それでも笑わない教師より笑う教師の方がいい。
さて、悲しいお知らせがあります。
「真面目に考えて仏頂面する教師のアンケート最悪。」が起きてきます。
つまり、労働としての教師を目指すのであれば、ニコニコ顔(二チャア顔)で当たり障りなく教科書だけを教えるのが正解です。なぜなら、教科書を超えてくると、どうしても乗りこえるべき壁が増えるからです。ニコニコしながら真面目に考えてがんばる先生であってもいいし、真面目に考えて仏頂面である先生でいってもいいはずです。
心持ちにしても、労働として教師をするのか、教師として生きるのかで変わるとよく言われていたものです。
アンケート評価は、参考に頑張るしかないのですが、サービス精神をどこまでも教育に求めるあまり、時間のかかる成果を教員はあげにくくなっています。
「この子供には時間をかけてこういった教具を作ってあげよう」という個別に何かをすることが物理的に不可能になりつつあります。
しかし、要領よく乗り越えることも、不器用でも前進する生き方も、教師は選びやすいといえる仕事です。不器用であっても、お財布を気にしなくても時間をかければ、自分の思いを叶えることができるからです。
その意味では、教育は仏です。
私は、そこを理解しているので、子供とも保護者とも楽しく教育業をする夢が叶っています。

心理の世界は、鬼です(勝手な思い込みです)

 心理の世界は、認められるようになってから日が浅いため整備が遅れています。教育が人類が誕生したときからの営みであったことに対して、心理学を学問として捉える流れは日が短く発展過程にあります。そのために仕事に対する待遇が最悪です。専業主夫・主婦のアルバイトの賃金にまでダンピングされています。レッドオーシャンです。改善の努力を業界はしているものの教育業ほどのスピード感はないです。

権力者の意見や意図も無視できない

 サイコロジー(心理学)はサイコロの目のように変わると言われます。クライエントの心の様相も変わるでしょう。また、分野の権威の方の意見も無視はできない。
論文による信憑性が担保されていない臨床心理の技法も混在していて、必ずしも効果があるとはいえないものが混ざる。そのようなときに、活躍するのが権力者の存在です。答えがないものだから、権威のある人の意見に乗っかるのは人としてありうることです。私も、答えのない世界に入り込めば、救いを求めるでしょう。長い目で見ないと分からないことも心理の世界では多いものです。そうなると、研修して勉強して期待に応えたい方法を模索するのが人間というものです。

月収15万円の人が旅費5万をかけて10万円の2日講座に出る世界が心理

病院勤務の正規臨床心理士だって15万円からの世界。仮に月収15万円の人が旅費5万円をかけて10万円の講座に出れば1ヶ月分の給与が吹っ飛びます。それどころか手取りで考えると1ヶ月以上の講習費用を払うことになります。これは、真面目な臨床心理士が陥りやすい状態です。
いくら学んでも、小学校教師のように順調に昇給とはならないでしょう。つまり給与のあがりの幅が違いすぎます。生きていくには、少し厳しいぐらいの待遇が臨床心理の置かれている立場です。
頑張って学ぶことは大切ですが、ご自身の将来の蓄えができないほど突き詰めると生きていけなくなる。そこには気づいた方がいい。大学の非常勤講師で生活を支える方の生活苦と似通っています。
一方で、小学校教師に地域差があるとはいえ、悪くはない給与と待遇です。

臨床心理の場合はケースにもよるでしょうが、10万円の講習費の半分程度は心理の専門家に渡るとみます。ひどい場合には会場費を除く全額ポケットに入れます。
様々な認定協会でよくあることは、更新講習は義務、更新期間は短いように感じます。開催場所と開催数も少なく、近場に会場がない。それゆえに5万円の旅費を追加支出させる世界。これは意図しているわけではない。会場のおさえや講師さんの相場を考えると当然である。いくらでも言えるでしょう。実際そうなのでしょう。
オンライン講習なら費用もただ、買い切りの講習なら1回分の講師謝礼であとは何度でも流せますから講習費も時間が経つにつれて下がり続けるはずです。研修の基本は費用の軽減を志向しているかどうかです。心ある先生方は、声をあげています。改善が進むことを期待します。
 心理学の研修が信用されないのは、この高額を支払わざるを得ないシステムにあります。クライエントから報酬を受けるときにも、悪いことを考えると引き延ばす人だっているでしょう。いないと信じたいのですが、生きていくための臨床心理の側面もあります。学会費や研修費の捻出に涙ぐましい努力をしている人がいる一方で、研究費で支出されて、講師を務めて講師謝礼をうけとる上層幹部もいます。でも、仕組みとしてはおかしいものではありません。それは、規則や規定で定められていたとしてもマニュアルでどうにかなる問題ではありません。みんな生きているのです。よりよく生きたいのです。

 研修会費の値段の高さは、心理業界の改善には繋がりません。皆が高めの学会費などを支払っているのですから、その費用の中から待遇改善を世に伝えていくべきなのです。
ただ、運営されている方、携わっている方の努力や苦労などを勘案すると「よりよくなるように頑張って!」とエールをおくりたいと思います。つまり、発展の途上なのです。大事なことは、その発展の途上に巻き込まれないこと。人生設計を持って生きろ!ということです。

臨床心理の研修システムは高額な支払いが生活に甚大な影響を与える

学ぶことで救いがあると価値が感じらるという前提がある。高額の研修を受けることに価値を感じるというおかしさがあります。民間企業でも高額の研修費にしているのは値段が高いものほど効果が高くなると思い込む部分を狙っている面があります。
ただ、高額の研修費を支払うのも、その人の意思です。心に値段がないものですから、価値づけられたかどうかとその人の財力という客観的ではない指標で金額が甚大なほど出て行きます。
臨床心理が悪いのではなく、制度設計において、そういった一面はあります。
ただ、職業として仕事としての臨床心理にこのような仕組みを持ち込まれ、貧しさの中で生きる若い臨床心理士の方を見るとやるせなくなります。世間知らずの若い臨床心理士先生を見ていると、「生きていけなくなるよ・・・」と思います。
価値観はそれぞれでしょうが、あなたが幸せになることが、まず大事です。

学校現場にはそのような悲観はありません。仏の研修システムです

学校現場の研修の場合、費用などかかりません。せいぜい会場費や実費です。免許更新講習に至っては数万円とせいぜい旅費ですみます。これも10年に1回ほどで、心理の世界と比べてのんびりしたものです。もちろん、高額費用や謎の学校の先生が作り出した・・学会、・・研究会などではお布施しステムが導入されています。ただ、ベースになる研修は教育委員会や国や大学で無料または安価で受けることができます。私は教員免許更新講習の3万円すら高いと思っています。反面、このレベルで3万円で受けれるなんて安い!と思う講義もあることも確かです。費用が高いほど価値があるとならない秘訣は、研修予算を決めることです。無料かやすい費用で受けることができる研修。
それだけでも十分に仕事ができること。これが臨床心理士の世界にはありません。
学びたい人が安価に学び、講習ポイントも無料で楽々集めることができれば、私にとって仏の世界。


小学校教師の苦労は世間に伝わりやすい

臨床心理士のみなさんのほうが窮状のさなかと感じる反面、小学校教師の窮状はメディアなどで社会を駆け巡ります。みんなが一生懸命、学校も子供もいい形で存続させる形を模索する。
だから、研修費用が安くなり待遇の改善の指針が出てきます。
私は、小学校の現場で働けることを幸せに思います。仕事が?だと思う人も!と思う人も、生活の不安なく働くことができる。変わると嬉しいこともあります。でも、日々感謝の仏の世界の環境は学校にあり、よりよくなってほしいと思います。 

朝4時大都市にて

 東南アジアのような熱気に包まれた朝4時。汗だくになって目覚めた。シャワーで汗を流して、電車に乗りこむと日本人の若者と数人鉢合わせた。旅行にでもむ可能だろうか。大きなスーツケースを大事に抱えながら寝込んでいる。数人はこれから向かう観光施設について話をしている。
  私は、ノートパソコンを開くとそこには大学の恩師からのメールが届いていた。海外派遣の時程だ。心が弾む。海外に教えにいく。海外教育を見聞することには慣れていたが授業の主体者としては緊張は拭えない。ふと、目をやると海外の若者の出勤をする姿が目に見える。
この街も外国の人が増えたな。
先日届いた英語の名刺をふと確認した。
名刺には。教員とは書いていない。住所も書かずURLアドレスが書かれているシンプルな名刺。
お気に入りだ。
派遣国の教育状況を確認しながら、ふと先ほどの働く外国の人に思いを寄せた。
「今、幸せですか?」こう問いたくなった。
派遣国の人たちは、日本で1年仕事をすると、5ー10年分の稼ぎになるという。
彼らは、英語に母国語に日本語、3ヶ国語話せるのが普通だという。
私は日本語で精一杯だ。日本の若者が英語一つ身につかないと嘆きながらももらっている給与。それに対して日本以外の国に生まれただけで、「3ヶ国語話せるだけの労働者」として安い給与を受ける人たち。このギャップの大きさを電車で感じた。

朝5時 喫茶店にて

大きな声で騒ぐ若者とぐったりした水商売風の方が仕事の愚痴を報告する喧騒の中、席に座った。
「いつもの」
いつも頼むのは、パンケーキとコーヒーのセット。
愛想のよい中年女性が笑顔で応じる。
ほどよく焼きあがったパンケーキが運ばれてきた。
厚みのあるパンケーキをサイコロの目状に浅くナイフで切り込みむ。その上にバターをナイフで切り分けて、ハチミツをかける。
表面積を増やすことで、染み込みを最大化するのがいつもの儀式だ。
染み込ませることに楽しみを見出すささやかな朝食。
海外向けCVを確認する。
「環境の賞の受賞」
派遣国での授業の概要は決まっている。しかし、単なる授業ではなく、その先にある単純労働ではない母国でも活躍できる労働ができる技術がないかと思案する。
Jetro,総領事,経済局,青年会議所あたりと連携を組めれば面白い。
発想は豊かに広がるが、目前の仕事である教育論文に取り掛かる。
昨年度の複数の論文と自著の著作に続き、今年はあと数本書ける。
私は、教育論文が苦手だ。
主観的だし、再現性において厳しいことが多い。
もはや、教師の捏造ではないかと感じる論文が多く「読み物」として感じる。
読み物とするなら楽しい。
統計も使われていない、カウンターも取れていない。せいぜいt検定しか用いない。どこに科学性があるのだろうか。グラフばかりの代表値を眺めながら、それが統計的に有意であったのだろうかと疑問に思いながら教育論文を読む。
むしろ今年は、少し読み物風にアレンジして出してみよう。
短期大学でもなることができる教員の世界では、読み物風のほうが好まれるのだろう。あるいは、授業案がいい。そう思いながら、仕事を進めた。

朝6時 仕事仲間からメッセージが届く

 「華丸先生、起きていますか?」Kさんからメッセージが届く。彼は、昼に教員として働きながら、夜に大学院に通い博士号を取得しようとする20代の若者だ。
「おはようございます。」私は短く答えた。
「論文が一息つきました。」Kが再びメッセージを届けてきた。
私は、少し冷めたコーヒーを飲みながらモニターに映る論文の文字を眺めた。
Original Paperか。
統計を駆使した原著論文を5年がかりで完成させたK。
大学院修士課程で、悩んでいたときに背中を押したのは私だ。
数年前の早朝。Kからの相談に、普段ならセラピストとして身につけた相づちをうってお茶を濁そうかと思っていた。
しかし、このときは違った。
Kは、地道に成果をあげようと努力している。
このセラピストとしてのkに対する分析が確信に変わったとき、私は口を開いた。
「基礎研究を含めた研究をしている博士号を授与できる資格のある大学教員を選びなさい。」
「基礎研究のみならず、実践研究を統計を含めた研究の論文実績のある大学教員。」
「そして、博士号を授与させた経験のある大学教員を選ぶこと。」
学部の指導教員を考えていたKにとってそれは衝撃だったようだ。
「心当たりの先生を教えてください。」
かねてより、意中の数人を紹介した。
Kは丁寧に面談をこなし教育指導計画を作成し大学院に進学した。

朝7時 2つ目の喫茶店にて

 喫茶店を出た。汗が流れ出た。天気予報によると大都市では1週間猛暑となるようだ。
駅前に向かうとそこには、行き交う人たちの姿が増えていた。
 派遣国の若者に対して支援できるアプローチはないのだろうか。
そのことをまた考えながら馴染みのもう1つの喫茶店に向かう。
ここは、大都市のビルの上層階にある隠れ家。
お店につくと、いつものドリンクを飲み一息ついた。
今年の暑さは体に応える。新興国に派遣されるとなると暑さになれなければいけない。
日本人学校ではない新興国の学校ではクーラーなど望むべくもない。
駐在派遣員ばかりの楽勝日本人学校と現地学校の隔絶した貧富の差は、自分が特権階級にいるかの勘違いをおこしてしまう。私がこの勘違い日本人教員になる可能性がある間は、日本人学校にはいかない。
 涼しさ、排気ガス、所得の向上。これらは、科学、金融教育の出番が多い。
そう思うと、現地の小学生から学ぶといいことについて思いが巡る。
実験としては、この実験を通じて将来の科学者としての素質を養う実験がいい。
金融教育は、家庭教育と密接だからむしろ現地教員や大学の学部生が適している。
構想が練り上がり、派遣国での実際の実験手法と実験手続きを書き進める。

朝10時 繁華街の社交場にて

 ここは、社交場。夏の暑さと休みを満喫するために子供と大人が入り乱れて、休日をただのんびりと過ごす場所。
外国の人が増えたな。
 数年前訪れたこの社交場では外国の人は少なかった。外国人の方が家族で来ている。日本人より裕福そうな身なりである。
観光というよりは、日本で生まれた日本人として生きていく子供たちなのかもしれない。いい車に乗っている。ふと従業員を見ると数年前訪れたときと同じ日本人の若者だった。美しい容姿で忘れようがない。しかし、今みるとどこかみすぼらしい日本人の若者だった。髪型は自然な韓国風、スタイルだっていい。でも、どこか衣類が安い。表面見はいいのだが、みすぼらしさを感じたのはなぜだろうと考える。気のせいなのか浮かばないフェルトセンスを感じていた。
彼はカタコトの英語で外国の方に「next next」と答えていた。
3ヶ国語話せる派遣国の人と比べるまでもない。ひょっとすると大学でも勉強がおろそかなのかもしれない。大学生としてなのか就職としてこの施設を選んだのかはわからない。
生産性の低い単純な仕事で、この場所で輝くには相当の度量と工夫が必要だろう。
仕事に対する熱意は感じようもない。
この社交場で働くということは、ここの集客が収入源である。ここから事業経費(人件費を除く)、株主への利益還元、役員報酬、社内留保が引かれた中から人件費が決まりそれを多くの人数で取り分ける。給与はどだい大きく変わらない。
そうなると評価システムなんて機能しようがない。評価システムは、労働者が奴隷として縛り付けるためには機能している。給与に上限が決まっていれば、生産性を高める目的など果たしようもない。評価システムは、労働者が労働者同士を見張る隣組としての機能になっている。つまり、職場で同じように動き似た生活サイクル、人間関係さえ制覇すればあとはサボり放題。おおよそ、仕事の生産性を高めないこの評価システムは若者に見破られ、手抜きを覚えさせている。職場で同質性さえ保てば楽に働ける。社会の裏をかいたつもりが、自分の能力の向上と機会費用を大幅に損ねている。

朝11時 いつもの休憩所にて

 ここは、いつもの休憩所。少し休むには適している。
また派遣国への思いが巡りだした。評価システムといった監視システムで仕組みを組んでもうまくいかない。罠のような社会の仕組みについても示唆しよう。関心をもつ人には、ちょっとした助言を与えよう。あのときのKに伝えたように。
日本での豊かな暮らしを夢見て訪日し、大きな中抜きをされるという奴隷のように働かされている報道。
それをうっすらと耳にしながらも、見て見ぬふりをする教員や地域の人たち。
うっすらと知りつつ、手を差し伸べて自分が苦しむよりも
「私が、嫌な思いをするわけではないから」の一言。浮いた時間で、あの有名観光施設に数多く行くことを休みの目標にしてしまう人たち。あぁ、あの社交場の評価システムと同じだ。
目立たない騒がないみんなでサボる同質性だ。
確かに、子供の先を見据えて考えるより、休みの日は休みと割り切れるほうが健康にはいい。
見習うところではあるが、やはりそこには何とも言えないフェルトセンスを抱えた。
反面、教員でかたまって講座に行って、「・・先生がすごい。」というカルトな会も苦手だ。
子供が一番知っている。そのような講座を年中しているカルト教師がいい先生であろうはずがない。そもそも子供と一緒にいない先生が信頼できようがない。お利口な子供達は、ただ先生が自分のために動いている訳ではないことを知っている。子どもを教えるという本来の目目的と、うまい授業をするという数多ある方法の1つという目的と方法が入れ替わっていて、自分語りの作文、授業を行う。子供がそんな先生に付き合ってくれている。
  目の前にいる子供は、ただただ教師の身勝手な行動に耐えてくれているのである。だから、少しでも側にいて話を聴こう。そう思う。
真昼の日差し午後1時 偏った人生は苦手だ。だからこのライフスタイルになった
 自分が最後を迎えるときに、人気観光施設を楽しみに通い詰める。そんな観光施設に操られる日々。それが楽しかったと思う勘違いで終わるのは私は嫌だ。一度きりの人生。できるところは取り組んで、そして享楽的な観光施設もほどほどに楽しみ、将来の若者を日本人に拘らず世界へと手を広げていこう。と気持ちを大きくもち、外に出た。
大きなセミの鳴き声と鬱蒼とした蒸し暑さ、元気に行き交う人々の中、街を離れた。


私の仕事の雰囲気を味わえたでしょうか。フィクションです。

教師をしながら大学院に通う

Unknown

教師をしていると、ふと今やっていることは意味があるのか?効果があるのか?と考えてしまうことがあります。
教育の効果とは、とても見えにくいものですね。そこで、研究授業などでも行われていますが、アンケートなどを取り、授業の前と後で比較して、回答状況を比較したりすると思います。ですが、より科学的な方法で教育効果を測定したり、最新のカリキュラムや授業を開発したり、 そういった方法や知識を実践しながら学ぶ所が大学院です。
そして、大学院で求められることの一つとして論文投稿があります。

論文を投稿

自分のしてきたことを、多くの人に広めるために論文にまとめて、専門の学会誌に投稿します。
何十年も残るものなので、名を残すという意味でも大変有意義です。
もし、大学教員を目指したいならば、論文を書くことは必須になります。


論文を投稿してみた

まずはたたき台の文章を作ります。それを指導教官に確認してもらいました。
「この研究をやる意義が見えにくいから、○○することがどんな教育的意義があるか、引用文献を探しましょう」
なるほどと思い、ciniiだったりgoogle scholarだったり、論文検索サイトで関連論文をたくさん調べました。「分野的に国内よりも海外の方が文献が多いかもしれないね」あまり英語が得意ではないので、google翻訳を駆使しながら、なんとか和訳。和訳したものはデータで保存してフォルダ保存していきました。

論文の構成
・目的 どうしてその研究をするのか その研究の意義
・方法 どんな方法でその研究を行うのか
・結果 研究で得られた結果
・考察 結果から考えられること

論文の構成はこのようになっています。苦労したのは目的部分です。意義があるかを論理的に伝えていく必要があります。海外論文と国内論文を組み合わせて、作り上げていきました。
できては先生に添削してもらい、そのやり取りを半年くらい続けて、ようやく出来上がってきました。出来上がったときは少し感動しました。


ここからが本番


 しかし投稿して終わりではありません。そこから査読が返ってきて、また修正して送らないといけません。ここで査読が返ってくるのに時間がかかるので、自分のスケジュールに余裕を持って投稿しないといけません。基本2ヶ月以上はかかるそうです。学会誌にもよりけりです。


働きながら書くということ


働きながら書くことの良さはあります。授業実践のしやすさです。自分の学校でカリキュラムに組み込ませてもらうことができますね。しかし、同時に論文を書く時間を確保しにくいことがあります。周りの人にいつ書いているか聞いてみました。

○朝4時に起きて書く 
割と多かったのは朝型でした。夜は残業になったり、子どもを寝かしつけないといけなかったりとやることがあるからだそうです。このタイプの人が多かったです。

○土日にまとめて書く
平日は仕事で潰れるので土日に頑張るという人もいました。平日よりも長い時間を確保できますしね。

○スキマ時間を使う
電車の中で少し作業をする。など通勤時間で頑張っている人もいました。

かという、自分は。夜型なので夜にやっています。職場を出る時間を毎日○時と目標を決めて、それに向けて仕事を頑張り、職場を出たらカフェなどで作業をする。平日で2時間取れるかなといったところでしょうか。周りにはあまり夜やる人はいませんでしたので、ベーシックではないかもしれません。金曜日などは華金だ!という感覚で遅い時間までゆっくり論文を書いていました。

簡単にできますとは言い難いですが、とても楽しいです。しっかりと結果が出て、考察をして、そして実績として残していくことができます。査読結果も色んな視点から見てくれるので、考えの幅が広がります。是非、チャレンジしてみてください。その後(査読が返ってきてから)についてはまた更新したいと思います。






 

大学院進学推しの本ブログでも大学院出は最悪待遇

人口当たりの修士・博士号取得者が近年、主要国で日本だけ減った
]修士・博士 日本だけ減少…研究力衰退あらわ 7カ国調査 毎日新聞2018年8月22日 19時49分(最終更新 8月23日 18時10分)より
就職浪人しなくてもすむほど景気がよくなったんだなぁと思います。
その程度の大学院が多い実情もありますが、その他の理由も考えてみました。

採用時に大学院は給与が変わるだけ 

 教員系の場合はそうなっていますね。短大卒でも大学卒でも大学院卒でもそれほどまでに給与は変わりません。だから、短大を出て教員になることを私は勧めます。
なってから、少しずつ大学・大学院にいくことができますから。
大学院で学ぶ金銭的なインセンティブがないですから、行くだけ無駄の空気が流れています。

ねたまれやすい

教員は職員室に張り付く生き物です。ですから、自分と違う能力や突出して見えると叩き出します。
給与は変わらないでも、ねたまれやすい。

結局免許更新講習に

大学院を出ることはある程度の研究能力を有するはずです。
大学院を出ることによる研究能力とは、自分から何かを生み出す力を大学から認められたと考えます。
でも、免許更新講習は必須です。
この免許更新講習が不評です。研究した経験があれば、論文の読み込みでわかることを今更ながらに伝えられます。
内容がよかったとしても自費です。
お金を払ってまでの価値のないレベルが低い場合もあります。大学の教員も別にしたい講習ではないから・・・。
そんな講義に講習料を払わされるのが免許講習です。
学会の研修ポイント制のほうがいいと思います。
これならばもう少し選べます。
ただ、所属学会の謎の専門認定を取る作業になりそうですね。
医師などの専門医はある程度意味をなすのでしょう。

アメリカ型の教員の質に近いかな

アメリカ型の場合、小学校教員の質は低いとみられがちです。
待遇も悪い。州ごとに質に差がある。
でも、公教育に縛られない自習学習もできる。
ここを目指すと、教員の高付加価値化ができない仕組みですから、教員の給与と立場はますます下がってきますね。日本の教員はこちらに進んできてるイメージです。

北欧ヨーロッパ型

大学院を出ているのが標準といわれます。この場合は、研究能力や論文を読み込む力もある程度ついていますから、オリジナルの授業も可能です。子供に合わせての授業がしやすいでしょうね。
その分、能力も求められます。尊敬される仕事としての教員。こちらを目指したいところです。


日本の教育制度は変えられないだから

日本の教育制度は行政の仕組みで私には変えることができません。
免許更新講習で大学にお金が入る仕組み。ここが見え隠れしてしまいます。
でも、こういう仕組みに左右されるのはごめんです。私はヨーロッパ型でいきます。
給与が変わらないという自己犠牲も嫌なので、こうしてブログ発信することで仲間を見つけて充実した仕事になるように取り組みたいところです。
そろそろ通信系大学や大学院の募集が始まります。
がんばってみましょう。応援します。 

では今日は研究計画や試験について説明します。

大切なのは研究計画そして、その説明(口頭試験)です。
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本当にこの人は博士論文を書く力があるのか? 
教授陣はそこを見ています。

博士論文は新規性や独創性が求められます。なので、先行研究と比べて、どの点が優れているのか。
オリジナリティ溢れているのか、しっかりと伝えましょう。

修士課程の研究計画より具体的に書く必要があります。


・目的
・対象や時期
・調査内容
・分析方法
・仮説


細かく計画しましょう。この人は自分で研究を進めていくことができると思わせるのです。
必要があれば図や表などを用いてアピールをしましょう。

口頭試験があると思いますので、自分の研究の独自性のある部分(強み)はしっかりアピールしたいですね。そして、教授陣からあれやこれや突っ込まれると思います。
特に専門外の教授からは変化球の質問が来ます。
もちろん、想定問答集を作っておくことは大切ですが、それより大切なのは誠実に答えること。
わからないならわからない。できていない部分を指摘されたら、修正することを伝える。
素直に答えましょう。

あとはどの面接でも一緒ですが、できるだけ結論から。


口頭試験の他に英語試験や専門教養試験などもあるかと思います。
英語は専門の英語論文を読んでおくと専門用語も出てきていいでしょう。
専門教養は専門書や論文で勉強をしておきます。
ですが、大きな取りこぼしさえなければ大丈夫かと思います。

大切なのは研究計画と口頭試験です。
博士論文書くぞという強い意志を伝えましょう。








 

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