少しお気づきかもしれませんが、
書きにくいとき、ひょっとするとその子どもに対して苦手意識があるのかもしれません。
でも、
相手を苦手だと思うから、相手もあなたのことを苦手と思います。
人間のルール1
相手をかえるのは難しいが、自分を変えることはできる。
子どもと接する仕事です.
自分のとらえ方を変えて、さまざまな角度から子どもをみることができるようになりましょう。
教員としてプロのお仕事であるなら、自分の感情を伝えるよりもどうすれば子どもが伸びるのかを考えて話をしましょう。その中で自分の感情を伝えたほうがいいときもありますが、これまで読まれると分かるとおり、その感情は自分の感情であり、子どもを伸ばすこととは関係がないことがあります。
えらそうな子ども
若先生 あの子、塾にいってるっからっていつもえらそうなんだよね。この前は、難しい算数の問題もってきて、わかりませんって・・・。塾で聞けばいいのに。(怒り心頭)それに、算数のときも僕をおしのけてこうすればいいやんって他の子どもに教えはじめるから困るんだよね。(怒りおさまらず)。この前は、わり算の苦手なA君に教えて、先生よりわかるとかいわれたし。それに、キックベースボールになるとみんなをえらそうにつかうし、この前はけりかた教えていたかと思えば、エラーしたらきれるし・・・。なんなんでしょうね。(もう怒りっぱなし。)
私 それって、ドキッとするしプライドも傷つくこともあるからしんどいね。(若先生が傷つかず、その子も考える子に育てるために、まずはリミット・セッティングだな。)
難しい問題もってきたときは、「これは、今はぱっと分からないから塾できいてきてごらん。」とリミット・セッティングをするか、「そうなんだ。また解けたら教えてね。」で返しましょう。教員は専門分野をもつものなので、算数が専門でないなら「○が先生は好きで得意なほうだけど、この問題は考えるなぁ。できたらすごいから解き方もまた教えてね。」と返すといいよ。
若先生 ますます、えらそうに他の子に教えたら自分が困ります。
私 教えあいをして教えるほうがどの先生が教えるより教えたり教えられた子の両方が伸びたという論文もあるから、教えるのはいいことだね。でも、先生の話を聞いてから考えたり、教えたりすることは、授業をすすめる上では大事なことだしもっと効果的だから、まず先生の話しを聞こう。と伝えよう。
次に、上手に教えられる子どもがたくさん育つほうがいいから、できるだけ公平に教える機会を与えたいから、一斉に分かっている子が教えるのか、誰か一人が黒板で説明するかは先生が考えて決めるからね。これは、先生の仕事です。
キックベースボールのけり方を教えるよい面もあったんだね。でも、勝敗にこだわるところがあるのかなぁ。
そうすると、所見としては
算数の学習に意欲がみられ、難問に取り組むようすがみられました(教えにきてくれたら・・・難問に取り組み○の部分を△に例えながらみごとに算数の思考の流れを表現しました。)
わり算の苦手な子どもには、□という方法をつかって先生の教え方と視点を変えて、子ども達なりに伝わりのよい表現で説明することができました。
キックベースボールの学習では、体全体をつかってける方法を熱心に教えるすがたがみられました。仲良く勝利に導いていけるといいですね(少しネガティブ)。
書いていて抵抗がどうしても抜けない場合は、少しネガティブまでを限度にかくといいと思います・・・が、書かないほうがいいと思います。
自分が不快ならば、先生もプライドがあるから、できないみたいないいかたはやめてくれる?と口頭で毅然と伝えてください。先生も人間だから、いやなことは伝えればいいと思います。
(作話としてご理解ください。所見をかかれるときは、子どもを観察したり話をしたりした事実と上記の見方を組み合わせるとよいと思います。)